昨日の夜、駅で変なカップルが揉めて泣いてるのを見て思ったこと。
痛い女の書いたブログを読むのが結構好きなんだけど、最近はその手のブログがなかなか見つからなくなってしまった。みんなTwitterとかInstagramみたいな短文のSNSばっかで物足りない。おれはもっと体系的な、本格派の痛さを欲している。改行がメッチャあって、ハッキリしたことは決して書かずダラダラとして思わせぶりで、自己憐憫に満ち満ちている、そしてそれらが1つのエントリーにまとまっているというのが理想。SNSの断片的なアレじゃとても到達できない、丹念に世話された盆栽みたいな完璧な世界。
でもおれは、彼女たちのそういう軽薄なところが、実は大好きなんだぉ。お気に入りの痛ブログはその消滅をもって完全な美に昇華されるっつーか。『金閣寺』的な。
痛ブログ減少の原因はお手軽なSNSの興隆もあるだろうけど、単純におれが32になって、同じように自分の周りも大人になってしまったってことが原因のひとつだと思う。同世代の情報って自然と入ってきやすいから。
でも、この世から痛さが消えることはない。単におれが32歳の世界に暮らしているから出会えていないだけであって、この世界のどこかには今も現役世代が紡ぎ出すリアルな痛さが存在しているはず。出くわすのが難しいというだけだ。彼女たちの住む世界はベルセルクにおける幽界の狭間みたいなもので、普段は目に見えずとも、この世界の裏側すぐそこには、しっかりと存在している。
仕事に追われたり、投資の勉強をしたり、TOEICの勉強をしたり、そういうアダルトな行為もやってるうちは結構楽しい。しかし最近の自分には、彼女たちの世界にお邪魔する精神的余裕というか、遊び心みたいなものが足りてなかったんじゃないかなと思う。目の前にある問題に翻弄されてアタマデッカチになっとったわ。ちょっと気合入れて検索してみっかな。
読み逃げ禁止なんでスターください。
おわり